右肩の痛み/30代女性/子育て中

右肩の痛み/30代女性/子育て中
主訴は「右肩が痛い」「肩を上げるとつらい」。
夜間痛はなく、可動域制限も軽度。
四十肩のような炎症性疾患とは違う印象を受けた。
触診では、右肩よりも、脊柱を境にした右側の首〜背中全体の凝りが目立った。
肩こりの自覚はあるものの、「首や背中がこんなに張ってるとは思わなかった」と本人。
おそらく、長期間同じ姿勢をとる状況が続いたことが関係している。
詳細は書けないが、そう判断するだけの背景があった。
■ 固定された姿勢は「動かないこと」の緊張をつくる
動かさない時間が続くと、筋肉は「使われていない」ようでいて、
実際には「使わないように保ち続ける」ための静的な負荷がかかる。
この人のからだに残っていたのは、そういう“動かない努力”の記憶のようだった。
それは自分でも気づきにくい。
初回と2回目の施術では、局所への刺激は控えた。
体全体の調整を優先した。
それでも施術後、首の緊張はわずかにゆるみはじめていた。
ただ、本人の実感は薄かった。
「なんとなくスッキリはしてるかも?」くらい。
3回目、4回目と施術を重ねたが、
「よくなった!」という明確な反応はない。
でも触れている限り、からだは変化していた。
あとは、本人の感覚がそれに追いつくかどうかだと思っていた。
■ 「効いた」と感じるのは、いつなのか?
これはいつも考える。
変化が起きてから実感する人もいれば、
実感が先に立って、あとから変化が追いつくように見える人もいる。
それは信頼かもしれないし、期待かもしれないし、
あるいは“そう思いたい気持ち”というものかもしれない。
でも、どれも間違いではない。
身体は、意識とは別のリズムで動いている。
5回目の前、ふと首に触れたとき、
「柔らかくなってる」と感じた。
このとき、本人が「最近、あんまり凝りを感じない」と言った。
それが施術の効果かどうかはわからない。
タイミングが偶然重なっただけかもしれない。
単に、慣れただけなのかもしれない。
でも、そのとき私は、確かに「違う」と感じた。
■ “物語にしない”という選択
「第5回で劇的に改善」――そう書くこともできる。
けれどそれは、事実の一部を“わかりやすく整えた”だけであって、
私が見ているのは、その間にあった変化しないようでいて、少しずつ移ろっていく身体のほうだ。
物語にしてしまうと、
たしかに伝わりやすくはなる。
でも、語りの外にあるものの気配を、消してしまう気がしてしまう。
結論めいたことは言えない。
ただ、
変化はいつも目に見える形で起きるわけではない
自覚と変化のタイミングは、必ずしも一致しない
からだの反応と、語られる言葉のあいだには、しばしば“ずれ”がある
ということだけは、今回もあらためて思った。