鍼灸ともうひとつのライフワーク・その2
こんにちは!市川市中山のあかつき堂鍼灸院の清水です。
私は鍼灸治療と同じくらいの期間(14年)ITFテコンドーという武道を続けています。
テコンドーは私にとって鍼灸と同じくらい切っても切れないライフワークになっています。
(テコンドーと一口に言ってもWTと私のやっているITFの2種類があり、まったく異なる性質の競技・武道なので本来は分けるべきなのですが、今回は割愛します。)
習い事以上ライフワーク未満?
私の一段時代9年はほぼ子供の誕生と一致しており、その9年間のテコンドーを一言で表現すると「いわゆる習い事」でした。
「いかに細く長く怪我なく適度に健康としてのテコンドーを続けていくか」
子育てをしていく中、力点がそちらに徐々にスライドしていきました。
その意味では色帯時代の方がむしろ黒帯取得に向けて励んでいたと言っていいでしょう。
しかしながら、一段最期の一年は世界大会という身に余る大舞台をきっかけとして相応の努力する経験を通し、テコンドーそのものが私の人生でかけがえのない存在になっていきました。
ゆえにこの一年で経験してきた意識を二段に昇段したことでさらに高めていきたいと考えています。
また、そうすることで次に続く人たち(できれば同世代の人)が出てきて欲しいと切に願っています。
- 理由は、細く長くでもコツコツとやっていけばタイミングと運次第によって考えてもみないところまで行ける可能性がある。
- それは人生でかけがえのない経験になるし、そしてどんな舞台であっても年齢とは関係のないことだということを体現したいからである。
そのためには努力と継続が大事です。
ではそれをいかに後輩たちに示せるか。
- 「時間がないから今日はいいや」
- 「疲れたからまた来週いこう」
- 「練習にはきてみたけど、今日は慣らす程度でいいや」
もちろんこんな日もあってもいいでしょう。
いや、そもそもこの気持ちは全くのゼロにできる感情ではない(少なくとも私は)。
だからたぶん、そのままでいいのです。
大事なのは消えない達成を邪魔する感情をどれだけ抱えたまま乗り越えるかという気概やそれに伴う動機なのではないでえしょか?
たとえば師範の指導そのものもさることながら、指導後の自主稽古を見るに大変私は影響を受けています。
世界で活躍する選手の稽古姿を見ることができること自体が幸運なことなのです。
とくにいつでも自主練をかかさない姿に。
そんな先輩達をみて、私は私もあのように上手になりたい、と思うのです。
だからこそ自分も継続して稽古に励んでこられたのは確かなことなのです。
では私が後に続く人たちになにを示せるのだろうか。
相手に教えることでさらに技に磨きがかかるし自分が今足りない点が見えてくるということを実感として持ちますが、同時に今まであまりしてこなかったと痛感もしています。
なので、色帯の方が何か迷っている雰囲気があったらできるだけ積極的に声をかけてその人の問題解決の糸口のきっかけになる努力をしていきたいです。
そうすることでその方も上手になるし、さらにテコンドーも好きになるでしょう。
そして先ほど触れたようにコツコツやっていく自分の姿も見せることでその方が思ってもなかった世界に足を踏み入れるきっかけにもなるかもしれません。
ここまで書いてきて感じることは
自分自身しか見えていなかった、興味がなかった、ということです。
個人競技なのでそれはそれで悪くはないかもしれない。
しかし人の前に立つということは同時に私を見ている側の人たちに少なからず影響を与えてしまうことになります。
私自身を思い返すに私がわからないことを先輩方に質問し、それをやってみて、やり直して、また聞いてやり直してここまできたのだからその先輩方がいなければ今の私はいませんでした。
だから今度は私がその立場になるべきです。
まとめ
こんなことをまとめると二段の目標は、相手の上達を自分の喜びとし、分かち合う努力をしていき、それによって自分の技や精神をより成長させていくことです。
出会った仲間たちと共に成長し、テコンドーの魅力を分かち合いながら、努力と継続を大切にし自らの精神面の成長を追求していくことを楽しんでいきたいと思います。