ジブリで考える鍼灸と健康
ジブリ作品は好きですか?私は好きです。トトロ、ラピュタ、魔女の宅急便、耳をすませばなどがお気に入りでした。
さて、知る人ぞ知るレコーディングダイエットの考案者、岡田斗司夫さんはとある動画サイトで、ジブリの宮崎駿と高畑勲の話を良くします。その中で宮崎駿作品(たとえばラピュタ)はエンターテイメント、高畑勲作品(とくに火垂るの墓)は文芸(文学)だと評していました。
エンタメと文芸の違い
つまり、宮崎駿作品は誰もが普遍的に感動できる落とし所がちゃんとありヒット作に繋がりやすい。
一方、高畑勲作品はこの映画のテーマは何か?どう考えればいいか?それ自体を観客に託してしまう。だから万人受けするエンターテイメント作品に比べるとヒットに繋がりにくい。事実、遺作「かぐや姫の物語」は興行的には失敗でジブリを一時解散させてしまったこともあるほどです。
私はそれまでジブリをそんな視点から観たことがなかったので衝撃を受けました。
あなたはどう思うでしょうか?(ご興味のある方はYouTubeで岡田斗司夫 火垂るの墓で検索!)
これをきっかけとして、私のやっている鍼灸治療って実は高畑作品のような文芸に近いなのかもしれないと思うようになりました。その理由をこれから書いていきます。
鍼灸師が考える健康
当然ですが、鍼灸治療はその人の体の不調を改善して、健康へ導くことを目指すものです。
ではその健康とは一体なんでしょうか?
- 病気がないこと?
- 病弱でないこと?
- 不調がないということ?
どれも正解だと思います。
でも「健康」の形の輪郭を撫でている程度で、どうも芯を突いていない感じがします。なので健康が定義されている例を引用してみます。
WHOが定義する健康とは?
WHO(世界保健機関)によると「健康とは単純に病気でないとか弱っているという意味ではなく肉体的、社会的、精神的に満たされた状態」だと定義されています。
さっきより具体的な表現だと思います。
つまり、それって人の数だけ様々な価値観があってそれぞれの健康の形があるということでしょう。であれば健康と一口にいっても一般化できず、社会的に精神的に満たされることの答えは人それぞれにあるものだということになると考えられはしないでしょうか。
たとえば、今の私にとって鍼灸という仕事は肉体的、社会的、精神的に満たされているものといえます。しかし、恥ずかしながら鍼灸専門学生時代では全くそんなことを思ったことがありません。(HP内の院長あいさつ参照)
本人でさえ、ある時代ごとに少なくとも社会的、精神的な立場で感じていることは一定ではないんですね。
あなたはどうでしょうか?
今までの話をまとめますと、鍼灸治療をするというこは単に不調を改善することだけはなくて「私は一体、何に喜びを感じてどんなことを大切にしているだろう」と鍼灸師と患者さん双方がそれぞれの答えを見つけだすようなものだ、といえないか?そしてその答えは自分それぞれが持っている。
これが鍼灸が文芸的であると思う理由です。
- 憑き物が落ちたように性格が明るくなる
- 服の好みが変わる
- 物事に積極的になる
少なくとも以上の変化を時折患者さんから見ることができることから、鍼灸によって思考と行動に何かしらの変化を与えられたのは間違いないと実感することは多いです。
自分自身に問いかける重要性
以上を患者さん目線でまとめます。
- なぜ最近不調を感じていたのだろう?
- 無理に苦手なその仕事を受けたストレスからだろうか?
- ではその約束を断ることはできなかっただろうか?
- 断ると私の社会的な立場に悪影響があるかもしれない。
- でも気持ち(精神的)は楽だ。
- そうだとしたらそれは私の気持ちを無視してまでやらなくてもよかったのでは?
- 大事なのはこの楽になった体をもっと大切にすることじゃないのか?
そんなことを体が変わっていくにしたがい、患者さんそれぞれが考えることになるはずです。たぶん。
鍼灸のエンタメ化
先に申し上げたように、エンターテイメントは万人が見て楽しめるようにいかに作るかというところに答えがある。だからヒットを狙いにいける。
でも鍼灸は文芸的な側面が強い(少なくとも私が考えている)ため世の中に広まりにくい。鍼灸の受診率は日本人口の5%程度ということからそのような推察をしてみることも可能だと思います。
では、より鍼灸を広めるにはどうしたらいいか?そのひとつの可能性は文芸からエンターテイメントに寄せていくことでしよう。そのためのキーのひとつは今話題の「美容鍼」にあるのではないかと考えていますが、その話題はまたいずれ。