そろそろ卒業しませんか?アルコールのやめ方。ビール編

- update更新日 : 2024年03月19日
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こんにちは!市川市の中山法華経寺すぐそばのあかつき堂鍼灸院院長の清水です。

  • ストレスや不安を緩和するという点で、アルコールに匹敵する物質はまずないといっていい。(運動脳p80)」
  •  「アルコールと拮抗不安薬は大変良く似た効果をもたらすため、スウェーデンでは不安薬の多くがドライ・ドランク(空酔い)という別名で呼ばれている(運動脳p81)」

なるほど。

アルコールは強力な抗不安薬であり、人生にアルコールは重要とも思えますね。

しかし一方で。

世界的権威のあるTHE RANCETという医学誌「195の国と地域のアルコールの使用と負担、1990年~2016年:世界疾病負担調査」によると

健康への悪影響を最小限に抑えるアルコール摂取量はゼロという答え。

、、、え???

どうやら酒は百薬の長ではないらしいです!

その実、大麻よりも依存性が高いことがわかってきたアルコール。

そろそろ健康のためにやめられるものならやめたいなぁ

そんなふうに心の片隅にある方向けに今回は私の禁酒経験というサンプル1の経験側ですが無理なくお酒(今回はビール)をやめていく方法を考えていきます。

ちなみに私はお酒が好きですが決して強くはありません!

酒好きの義父の影響もあってかつて週7でビールひと缶程とウイスキーを多少飲むというくらいの習慣がありました。

今ではふた月に一回飲むかどうかという感じで、どうしても飲みたいという日はほとんどありません。

私くらいの飲酒習慣程度なら、おそらく禁酒はさほど難しくないでしょう。

儀式が大事 

コロナ禍によって飲みに行く機会が減りましたが、飲み屋さんで飲む1杯目のビール、アレはなんで家で飲むビールよりおいしんでしょうか?

  • 店の雰囲気
  • ジョッキに注がれたビールを見る
  • 飲む、喉越しを味わう

ざっくり三つに分解できそうです。

逆に言えば、缶ビールを家で缶から直に飲んだ時と比べたことを想像してみてください。

「生ジョッキ缶」というジョッキの喉越しを再現した商品が1年以上も品切れ状態になった理由にも納得できますね。

 つまりビールの旨さはビールの味だけで成立しているわけではないということ。

これは感覚的にも納得できることではないでしょうか?

ビールは味を楽しむだけでなく味わうまでの行動、

つまり「儀式」こそが大事なのだ考えてみるのです。

そしてその「儀式」の一部を自宅で応用します。

冷えたジョッキにキンキンに冷えた缶ビールをトクトクっと注いでいるところを想像してみてください。

その缶ビールをノンアルビールに変更するのが第一ステップです。

ノンアルビールを活用する

できるだけ缶ビールの見た目に近い方が気分が出ます。

味でオススメは「龍馬1865」ですが、缶の見た目重視ならアサヒやグリーンラベルあたりでしょうか?

かなり本家の缶ビールに寄せたデザインです。

さあ、そのノンアルビールをジョッキに缶ビールを注いでいるように注ぐのです。

「これから私はビール飲むのだ!」と信じながら。

気持ちが成仏する

側から見れば実に馬鹿らしいのですが、でも実際やってみると分かります。

それだけで不思議と気分だけでもある程度解消されることに。

それを私は「成仏」といっています。ではなぜそんなことが起こるか?

繰り返しになりますがおそらく、

  1. ジョッキにビールを注ぐ
  2. 見る
  3. 飲む

という一連の儀式がある程度ビールに対する欲求を成仏させることができたのではないか?

もちろん成仏させられないという方もおられるはずですから対応を考えてみます。

たとえば週7で飲むなら2回程度はノンアルビールにしてみる

→徐々にノンアルビールの比率を上げていく。

という具合に。

炭酸水を使う

そこまでおそらく三ヶ月はかかるかもしれません。

そこまできたらノンアルビールを徐々に炭酸水に変更していきましょう。

つまりビールの味と喉越しから「味」の部分を引き、慣れる。

 「喉越し」だけで満足するように体をしつけていく段階だというわけです。

これも私の経験上三ヶ月はかかるでしょう。

飲んでもいい日を作る 

月に一回くらい飲んでもいい日を作るのも手です。

でも人によっては禁酒が1~3ヶ月以上続いたのにお酒を飲むことそれ自体が、

「ここまでやったのにここで飲んだらもったいない」という感覚が芽生えてくるはず。

これはやってみて初めて感じる不思議な感覚です。

いかがでしたか?

アルコールは確かに人生を彩る上で大事なポジションにあるのはたしかです。

しかし自分との適切な距離感を大切にしたいものですね。

まとめと個人的な感想

私たちがお酒を楽しむ時、

同時に「一体いつまで私はこの液体を飲み続けるのだろう?」

と思うことはないでしょうか?

私にはありました。

元々お酒が体に合わないということは感じていたのもありますが、子どもが生まれてからその思いは加速したのです。

「この子らが大人になるまでは健康でいなくては、

自営だし少なくとも仕事ができなくなっては困ったことになるぞ」と。

私自身は長生きしたいとはあまり思っていませんが、

健康でありたいとは常々願っています。

一緒に暮らす義父を見て

今年八七歳になる義父は大の酒好き。

去年から透析生活が始まったのに全く食生活を変えず飲酒ペースも落とさず、本年を迎えました。

まだまだ元気ですし年齢的にも好きなお酒をやめてまで

寿命を伸ばすなら 多少短くなっても楽しく飲んで生きたいという気持ちを優先してもらっています。

そんな義父の口癖(座右の銘?)は二つ

  • 酒で胃腸を消毒している
  • 酒なくて何の己が桜かな

(月見や花見には酒がつきものだ)

義父は透析はしているものの基本元気なのである意味、本当に酒が義父を生かしているのでは?と感じる時があります。

しかし、お酒ってそもそも何でのむのでしょうか?

暴論かもしれませんが、

突き詰めればストレス解消のために頭をぼんやりさせ鈍感にさせたいと頭のどこかで思っているのではないか?

私はお酒飲むと気持ちが良くなる代わりに思考力が低下して動きたくなくなるこの感覚が次第に邪魔になっていきました。

飲むくらいなら他にできることがあるしその方が楽しい。

その意味でお酒をやめることができたのは幸いでした。

そんなに桜が美しいのなら酒がなくても、

いや酒など飲んでいたら、

ぼんやりして桜の美しさを堪能し尽くすことなんて到底できないではありませんか?

当院について

あかつき堂鍼灸院は京成中山から徒歩2分、JR下総中山から徒歩6分です。

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