老化は病気?健康寿命の伸ばし方。
こんにちは!市川市あかつき堂鍼灸院の清水です。2024年4月分のニュースレターをお届けします。
手術前に手を洗浄する、これは医師でない人でさえ考えるまでもなく当たり前のことですが、19世紀半ばまで実は誰もやったことなかったそうです。
それはたとえばヨーロッパでペストが大流行したときペストは水を介して体内に入ってくると信じられており(実際は主にネズミを媒介として粘膜や傷口を通しての感染)
風呂に入るなど言語道断だった時代が長く続いた影響があるのかもしれません。
手を水につけること自体が命取りだと信じられていたからです。
水自体が不衛生であった背景もあるでしょうが、
「手術前に正しく手を洗うと感染リスクが激減する」
感染予防という概念、
という当たり前の事実に到達するまで長い年月を待たねばなりませんでした。
その様なことを考えると
「老化は生理現象ではなく病気である」
という一見突拍子もない主張ももしかしたら世の中の当たり前になっていくのかも知れません。
今回はハーバード大学医学大学院遺伝学教授デビットAシンクレア著「ライフスパン 老いなき世界」を参考に、健康的な生活について考えていきます。
老化は病気
著者の主張は次の通り。老化は病気であり老化という病気によって個々の症状が出ている。
たとえば老化という病気によってガン、糖尿病、心臓病が個別に起こっているに過ぎない。
言い換えれば、「老化」を治療することで解決できる。
どのようにしたら若々しくいられるか?
老化のメカニズム
私たちの体の設計図と言われるDNAの損傷によって体は老化が進みます。
それはたとえば、排気ガス、タバコ、活性酸素など。
このDNA損傷をサーチュインというタンパク質は修復に作用します。
この仕組みをサバイバル回路といいますが、サーチュインは体を治す救助隊のようなもの。
したがってこのサバイバル回路をいかに活用するのかがポイントになります。
適度なストレスをかける
老化を防ぐにはDNA損傷を引き起こさせないことと、DNA損傷させない程度の適度な負荷をかけることで、むしろ「老化を戻す」という作用が働くのだといいます。
サーチュイン(救助隊)はDNA損傷を修復しますが、DNA損傷が体に起こっていない場合、サーチュインは救助には行くけども何もしないということが体の中で起こり、そのことがサーチュインのいいトレーニングになるのだとか。
つまりDNA損傷しない程度の負荷を体にかけることでサーチュインをトレーニングするように仕向けることで「老化を治す」ことができるらしいのです。
老化を治す行動
食事を減らす
生命維持が保たれるくらいの食事量がベスト。1日1食または2食。
つまり常にお腹が空いている状態をキープすること。
肉·卵·魚·加工肉など動物性蛋白質はエネルギーがあり過ぎるため基本は植物性蛋白を摂取することが望ましいとのことです。
やはり破壊せずにちょっときつい負荷をかけることが大事である原則に従っています。
運動をする
運動というと、きついものをイメージされるかもしれませんが、そこまでストイックきやる必要はありません。
ジョギングでいえば軽く10-15分前後程度で良いのです。
つまりこれもちょっとした負荷をかけることでサーチュインを活性化させることにつながるのです。
まとめ
DNA損傷を起こさず、ちょうど良い負荷を体にかけ続けることを意識した生活をしてみましょう。気になったかたはぜひ本書も、読んでみてくださいね!
トピック裏話
このライフスパンを私はかつて父に誕生日にプレゼントしたことがあります。
父は今年で83歳ですが、今でも元気で同世代に英語を教えたり卓球したり韓国語を習ったり精力的に活動しています。
この本が役に立っているのならとても嬉しく思います。
老化は病気であり治療することが可能なのだ、この主張は本当に刺激的であるし本当なのだろうか?
と疑問に思う面もあるのですが生活の仕方、食事の仕方、運動の仕方などどれもまあそうだろうなという感覚的に正しいであろうというのが膨大な科学的データに則って裏打ちされているのでぜひ実践してみてください。
院長のひとりごと
長く健康でありたいと思うことは現代のあらゆるの願いでもあると思いますが時折、大河ドラマなどを見ていますと時代が時代ならその価値観は時代によって異なるのではないかと思う時があります。
たとえば最近みた「どうする家康」。
服部半蔵の家臣が半蔵を敵から助けるために身代わりになるため「(私は)ここで死にます」といって死ぬシーンが第8話36分28秒にあります。
そのときの「ここで死にます」という言い方が、
妙に自然で一才の澱みがなく
私には到底理解の及ぶ範囲ではない理屈·感情から出た 「ここで死にます」のように思えたので私はぞくっとしました。
このぞくっとしたものの正体とは一体なんなのか時折考えるのです。
殿を守るのが家臣の勤めであって死ぬこともその勤めであり名誉であるというが理屈はわかる気がするけど感覚的についていけない。
新渡戸稲造の書いた「武士道」に出てくる名誉ある死が事細かく記されいる「切腹」。
どれも自ら死ぬことを厭わないという価値観が私にはやはりついていけない。
時代や身分制度が違うと言ってしまえばそれまでですが、彼らにとってライフスパンのいうような生活が果たして意味をなすのか?
といえば多分なさないのでしょう。
健康に長生きすることが暗黙の了解のように現代の価値観になりつつあると感じていますが、みなさんはどう感じるでしょうか。
その他
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当院は
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へ売上の一部(月4千円)を寄付させていただいております。
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